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●2014年6月5日
斎藤さんこんばんは。
今日は「コンブリ学園卒業アルバム」にエントリーします。
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わたしは2010年の10月からottava conbrioを聴き始めました。
それまでインターネットの交流というと、
毒気のあるコメントなどでいやな思いを
するのではないかとひやひやしていたのですが、
斎藤さんを始めとするプレゼンターの皆様やリスナーの皆様の温かい
雰囲気に守られて、まるで家族のようなあるいはクラスメートのような
本当に楽しい時間を過ごさせていただき大変感謝しています。
忙しい毎日の中で会社から帰ればコンブリオが待っているという喜びを
持てたことは生活に底堅い潤いをもたらしてくれました。
正直言ってわたしは、休日と同じくらい平日が楽しいものとなりました。
これまでの3年7ヵ月で送ったメール数は約600通、
2日に一回はメールをさせていただきましたが、
それらはわたしの大切な宝物となりました。
毎晩ツイッター挨拶して下さったあの方、
フェイスブックで沢山励ましをいただいたあの方とも、
年一回ラフォルジュルネの会場でお会いできたことは一生の思い出です。
ottava conbrioという番組は、
放送中のいたるところで深い愛情を感じることのできる
真に居心地の良い場所、
例えば仲の良いクラスや、気の置けない仲間の集う喫茶店のような場所でした。
ottavaのことを、仲間のことを、東北のことを、忘れずに祈りつつ、
ここからわたしたちはそれぞれの場所に飛び立つのですね。
真実の愛はわたしたちに自由を与え、自分自身の持つ力以上の奇跡を与える。
ottavaよ永遠なれ!
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リクエストはエルガー「ニムロッド」をよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年6月6日
モーリーさんこんばんは。
今週の日曜日引っ越しを行いました。
以前皆様に相談させていただいた通り、
一番の心配は我が家の猫二匹のことでした。
移った先であばれないか、
引っ越しの最中に逃げ出してしまわないか、
それはもう祈るような気持ちでした。
リスナーの皆様からいただいたお知恵を活用して
下記のような対策を取りました。
@引っ越しの最中猫が留まることの出来る部屋を一室確保する。
Aこの部屋は引っ越しの最中出入りが出来ないので事前に荷物を搬入しておく。
B引っ越しの最中猫を監視できるように猫担当者を選任する。
Cにおいの付いた猫砂、ケージ、愛用の毛布をあらかじめ置いておく。
Dその他以前愛用していた家具等も引っ越しで持ち込むように配慮する。
*引っ越しの終わったあとの落着き度合いがこれで決まります。
我が家の場合は二段ベッドとテレビ台でした。
本当は棄てたかったのですが猫のために取っておきました。
こんなにしても、猫を新しい転居先に連れて行ったとき
一匹はしゃーしゃー怒り出し、
もう一匹はあはあ息苦しくなって倒れそうになりました。
初日の夜遅くやっと落着きを見せるようになり、
やっと家じゅうを歩き回る余裕が出てきました。
二日後にはご飯を食べるようになり、
更に家を空けることも可能になりました。
五日後の今日ではもうすっかりなれている状況です。
皆様のご協力で無事乗り切れることが出来て感謝です。
あつかましいお願いですが今後はこの仮住まい
(やがて建て直した家に戻る予定)を
なるべく傷つけたくなく、
爪とぎなどで何か良い対策があれば
リスナーの皆様のお知恵を拝借したいと存じます。
よろしくお願いいたします。
リクエストはめまぐるしい引っ越しを連想させる曲として、
チャイコフスキー交響曲4番3楽章を
リクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年5月16日
モーリーさんこんばんは。
以前メールしましたが我が家は今引っ越し準備の真っ最中です。
箱に詰める前に、数週間かけて我が家の断捨離を進めています。
古本屋さんやホビー買取屋さん、リサイクルショップに通いづめで処分しています。
ごみものべ100袋は棄てたと思います。通常は不燃物などは月毎の日が決まっているためなかなか処分が進みませんが、市のクリーンセンターに予約すれば休みの日にも引き取ってもらえるので通い詰めています。整理をする前は不要物やごみが怖かったのですが、
今は処分方法がはっきりわかっているためストレスがだいぶ少なくなりました。
とは言えまだまだ当分まだ準備は続きます。疲れて倒れてしまわないように気を付けたいと思います。
今日はささっと引っ越しが進みそうな曲としてアランフェス協奏曲の1楽章をよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年4月14日
斎藤さんこんばんは。
先日渋谷区文化総合センター大和田 さくらホールでマタイ受難曲のコンサートを見てきました。
http://www.musicapoetica.jp/record.php?year=2014&key=146
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当日は桜丘町の桜の花がはらはらと舞いとても幻想的でした。
坂を登り会場に向かう時からバッハの旋律が頭に浮かび、
初めて生で聴くマタイ受難曲への期待に胸を弾ませていました。
わたしはユビキタス・バッハ/ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京他のコンサートの
パンフレットを読むのが大好きです。わたしにとっては曲の解説が非常に目新しく、
特に今回の「ソロモンの「雅歌」とイエスの受難」の話は、これから演奏を聴くにあたって
興味を湧き上がらせるに十分でした。
解説の中にあった「まことに苦いが、しかし甘い」を十分に味わってみようと心に決めました。
まず第一部冒頭の第一曲合唱「来れ、娘たち」を聴いて驚きました。
オーケストラと合唱の左半分と右半分が交互に分かれて演奏しているではありませんか。
わたしは演奏中でもパンフレットが読めるように適切に配慮された照明の中で、
もう一度オーケストラと合唱の配置を確認しました。
この時わたしは始めてマタイ受難曲が二つのオーケストラと二つの合唱団から演奏されると
いうことに気が付いたのです。
交互に奏でられる音楽が風を起こし、わたしたちは聖霊の息吹に包まれるかのようでした。
合唱団の名前がシュッツであることを忘れさせるような、非常に劇的な合唱でした。
悔い改める者をろうそくの炎のようにそっと包むフルートの音色は、
マタイ受難曲でも特別の存在だと思います。
第6曲アリア「懺悔と悔悟が」はアルトの歌声とフルートの伴奏が優しい光に包まれて
いるかのような、心に温かさを感じる一曲でした。
曲が進むにつれてわたしは先ほど読んだパンフレットの苦いと甘いの言葉を思い出しました。
歌詞を読み演奏を聴きながら、二つのオーケストラと合唱の役割のようなものが見えてきたような
気がしました。
つまりステージに向かって左側のオーケストラと合唱Tがイエスの受難(苦い)を、
ステージに向かって右側のオーケストラと合唱Uがソロモンの雅歌(甘い)を表現して
いるのかなと。
作曲者自身の思いが強く込められているコラールは左右両方のオーケストラと合唱が一緒に
演奏するということも理解できました。
第一部最終の第29曲「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」を聴いて心に熱いものが
湧き上がって来ました。
マタイ受難曲の十字架の出来事の前にこんなにも平安と確信に満ちた合唱があるとは
今まで気がつきませんでした。
第二部の終局に匹敵するほどの精神の高揚を感じました。
第二部の第30曲アリア「ああ、今や私のイエスは連れ去られた」では、左のオーケストラと
右の合唱Uが同時に演奏され、今までより劇的な印象を受けました。
これ以降先ほどのオーケストラと合唱の関係がより複雑になりました。
左右のオーケストラが交互に情感豊かに歌わせる二つの曲を聴いて、心の思いはいよいよ高まってきました。
一つ目の第39曲アリア「憐れんでください」ではコンサートマスター(左のオーケストラ)のヴァイオリン
の音が心に染み入り「主よ憐れんでください」と祈らずにはいられませんでした。
程なくして二つ目の第42曲アリア「私のイエスを返してくれ」では右のオーケストラのヴァイオリンソロが
非常に情熱的で、このアリアの新しい魅力を存分に伝えてくれました。
マタイ受難曲の中で繰り返し歌われるP.ゲルハルトのコラールは歌われるたび毎に表情が異なっていて、
歌詞を見ながらこの時はどのような気持ちで歌っているのだろうかと想像しながら演奏を聴くのが楽しかったです。
第54曲の劇的な歌も感動しましたが、わたしは第62曲の静かな消え入るような歌声にふるえを覚えました。
わたしは当日マタイの受難曲の第63a曲から第67曲(終曲)の神様の福音を聴くのを何よりも
楽しみにしていました。
この中にイエスの受難に満ちた曲調から、主の復活を告げ知らせる曲調に変化する瞬間があります。
第63b曲合唱「実に彼は神の子なりき」では実にゆったりと神の約束の成就と平安を告げ知らせて
涙があふれました。
この時ステージの上に一条の光を確かに見ました。
そしていよいよあの曲が歌われたのです。
第65曲アリア「わが心よ、わが心を浄め」は天国の歌です。
なんとしっとりと情感豊かに甘き音色を奏でていることか。わたしはこれまでのマタイ受難曲の流れをすべてこの歌に
重ね合わせ、バッハの信仰告白としてこの歌を聴かせていただきました。
時間の経つことの何と早いことか、わたしの一生の思い出となるこの演奏がいよいよ終わろうとしました。
第68曲終曲合唱で今日の課題であった苦さと甘さを、時には交互に、そして時には両者を包含した形で
同時に味わうことが出来ました。
クリスチャンの奏でるマタイ受難曲は神の復活と永遠の命への確証に満ちて、人間の悲しみを超えた
視点で演奏されており、だからこそ自身の深い罪への後悔と憐れみを乞う気持ちが深く掘り起こされました。
長々と書きましたことお許しください。
今日はマタイ受難曲の中でどの曲でも結構ですので一曲よろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年4月10日
斎藤さんこんばんは。
今日は「はじめてのクラシック」にエントリーします。
わたしが音楽を聴いてはじめて感動したのは、
中学校の音楽の授業でヴィヴァルディの四季のレコードを聴いたときでした。
森高千里に似た綺麗な先生が、演奏に出てくる楽器の説明を詳しく説明して下さってから
みんなで春の第一楽章を聴きました。(チェンバロの説明を詳しくしてくれて興味深かったです。)
こんなに素敵な音楽が世の中にあるのだと本当に感心したものでした。
この話を母にしたら早速レコードを買ってきてくれて、(カラヤン/BPOのリンゴの美しい写真のジャケットでした。)
当時我が家にあったのは、ターンテーブルの大きさがシングルレコードしか乗らないような粗末なプレーヤーでしたが、
すごくうれしくて何度も聴きました。
その頃父の鶴田浩二やマヒナスターズのレコードに交じって、母の運命と未完成のカップリングの
レコードや、48回転のモーツァルトのジュピター交響曲のレコードがあったことも思い出しました。
今日はこの思い出深いヴィヴァルディ春の第一楽章をリクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年4月1日
斎藤さんこんばんは。
今朝は突然のニュースに大変びっくりしました。
番組中で時々斎藤さんが「あと何年もつか」と言っていた言葉が
こんなにも早く現実のものになるとは信じられませんでした。
わたしがオッタ―バを聴き始めたのは2010年の10月、
コンブリオに初めてリクエストして、メールが紹介された時
飛び上がるくらいうれしかったのを覚えています。
以来今まで出したメールの数は約500通、三日に一回はメールしていた
計算になりますね。
会社にいる時もコンピレーションの森やリクエストのことばかり考えて
いました。平日家に帰るのが楽しみで、皆様のメールを拝聴しながら、
あたかも知り合いの人が集まっている喫茶店にいるような感覚で、
リラックスをした時間を過ごすことが出来ました。
ラフォルジュルネでのブリメンさんとの貴重な交流もオッタ―バがあった
からのことです。
とにかく今はこれまで長きにわたってプレゼンターを務めて下さった
斎藤さんや森さん、更にはオッタ―バのスタッフの皆様に感謝の気持ちで
いっぱいです。本当にありがとうございました。
しかしもう一方でまだあきらめられないという気持ちがあります。
最初はTBS社長に手紙を書こうかとも思いましたが、
こうゆうことは一人でやっても意味がないと考えました。
斎藤さん、本当にもうやれることはないですか。
ひとつだけ教えていただきたのですが、オッタ―ヴァを有料配信しても生き残る
可能性はありませんか。この三か月間で市場調査だけでもしてはいかがですか。
将来斎藤さんがまた番組を担当した時に役立つかもしれない、
生の声を皆さんで出し合ってはいかがでしょう。
オッタ―ヴァで収益を上げるアイデアをリスナーが提案する。
そうしてその改善計画を作り上げる。
今回でなくてもいい、きっと将来役立つであろう新生オッタ―ヴァへの提言を
残された三ヶ月で作り上げるというのはどうでしょう。
そのためにリスナーのみんなが東京に集合しようというのなら、
わたしも参加したいと思います。
とにかく、たとえ今回番組が中断になっても、OTTAVAの復活をあきらめず求め続けて行きたいです。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年3月11日
斎藤さんこんばんは。
今日は「卒業/旅立ちのクラシック」にエントリーします。
卒業式といえば大切なあの人との別れですね。
「記念に一つ頂戴」なんてことが無縁だった私が、
30年以上も前を思い出しながら妄想してみました。
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恒例の帽子投げで、歓声を上げた後、そのままの勢いで出てきてしまった。
体育館を出ると、風が少し冷たい。
石段の上で記念撮影が始まるには、まだ少し時間があった。
「ピカ男さん」
小さい声の方を振り向くと、さと子が立っていた。
「これ、受け取ってください。」
丁寧にしかし可愛く書かれた宛名が、彼女らしかった。
「あっ、ありがとう」
一年生から同じクラスで三年間すごした彼女は、
ピカ男と新聞委員会でも一緒だった。
「さと子さんのおかげで楽しい新聞が出来た。」
「いいえ、間違いが多くて困ったでしょう。」
「僕らの新聞、閲覧室に飾ってあるよ。
これからもずっと保管してくれるんだって。」
「じゃあ、いつでもここにきて思い出すことが出来るわね。」
「僕は何も用意していないけど、どうしよう。」
「ボタンを一つください。二番目の。」
「え〜それでは、C組の人集まってください。写真を撮ります。」
担任の声が響いた。
ピカ男はいそいでボタンを外し、さと子の手に乗せた。
「さと子さん、良き大学生活を!これからもよろしく。」
「ピカ男さんも、お仕事がんばってね。」
握手をした二人は、何事もなかったように石段の上に並んだ。
三月の日差しは、卒業生の将来を照らすようだった。
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BGMはセーラー服っぽい曲の、
ドヴォルザーク交響曲1番3楽章をお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年3月31日
斎藤さんこんばんは。
4/13(日)から受難週を迎えますね。
4/20(日)はイースターです。
この時期にいつもはマタイ受難曲を聴くのですが、今年はヨハネ受難曲を聴いています。
わたしは誤解していたのですが、バッハはヨハネ受難曲(1724.4.7)の方を、
マタイ受難曲(1727.4.11)より早く作曲していたのですね。
なぜバッハはヨハネ受難曲を先に書いたのだろうと疑問に思いちょっと調べてみました。
私がなるほどと思ったのは次の二点でした。
@バッハは自分の名前にこだわりを持っていた。
それは自分の曲にBACHという文字の意味をしのばせる程であった。
だから自分と同じ名前のヨハネ(=ヨハン)による受難曲に興味を持った。
Aバッハは理性的、論理的思考を好んだ。
他の福音書と異なり、イエスが神の子であるということを聖書の視点から万人に向けて
解説しようとしたヨハネの福音書は、バッハの信仰の基とするのに最も興味深いものだった。
詳しいことは省略しますが、四福音書のそれぞれの性格を表す言葉がヨハネの黙示録4章6節以下
に出てきます。それによると次のような性格が表されています。
「マタイ」は「人間」、「マルコ」は「ライオン」、「ルカ」は「雄牛」そして「ヨハネ」は「鷲」
鷲のように、天に羽ばたく栄光のキリストを伝える「ヨハネ」。これがバッハの心をとらえたの
ではないかというものです。
今度はヨハネ受難曲の印象を、自分自身の言葉でまとめます。
歌詞の理解を助けるため、オリジナルの対照表を作ってみました。
歌詞はヨハネの福音書の が引用され、
その他重要と思われる二つの箇所にマタイの福音書が引用されています。
マタイ受難曲とは異なり聖書箇所はレチタティーヴォだけでなく合唱の箇所でも歌われていました。
ヨハネの福音書では群衆の言葉が多く出てくるため、
合唱に聖書箇所を歌わせるということが必要なのだと思いました。
マタイ受難曲では物語を聴く自分自身の存在がどこかに必ずあって、
非常に主観的に訴えかけてくる場面が多かったです。
一方ヨハネ受難曲では神の約束の成就という厳然たる神の意志が自分の思考の外側にあって、
そこに関わる人間の救いようのない罪、
そしてそのような罪を犯す私たちを救うための十字架の真実を
客観的にとらえようとする自分に気が付かされます。
しかしそんな中でこんな曲を見つけました。
随所に先を急ぐような印象的な旋律が続きますが、
第一部最後に驚くほど感情豊かな曲が登場します。
第13曲アリア(テノール)「ああ、わが悩める心よ」
第14曲コラール「ペテロは主の言葉を思い出すこともなく」
この箇所はキリストの福音を知るために非常な重要な箇所です。
手短に言いますが、ペテロはここでイエスを拒んだ後、
復活したイエスに再び出会い命がけの伝道に赴くのです。
一度裏切った人のために再び命をかける、こんなこと考えられますか。
ペテロの否認は後の世の人が、
「ペテロは復活したイエスに出会ったということを確信させるため」に
神様が行った恵みなのです。
バッハは理論的にクールに決めたかったのかも知れませんが、
この罪の告白の箇所で福音の核心に触れて、
つい情感豊かな曲を書いたのかも知れません。
長々と書きましたが、今日はヨハネ受難曲の中から
この箇所をリクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年3月5日
斎藤さんこんばんは。
川柳まだ続いているんですね。うれしいです。
早速三作。
ビューロー君、悪いが僕がもらったよ。 byワーグナー
売ってない、悪魔でさえも逃げ出した。 byパガニーニ
一弾きで、倒れるマダム、20人。 byリスト
それでは続きはまた明日。
ラジオネーム「ピッカリング
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●2014年2月17日
斎藤さんこんばんは。
みなさんから、川柳クラシック届いてますか。
わたしはマイブームの風に乗って着々と作ってます。
@おふろでも、ブルートゥースで、つなぎます。
(おふろでもコンブリオを聴く事をやめない熱心さを歌いました。)
ヨハン・シュトラウス「美しき青きドナウ」
A仙台の、春が輝く、新世界。
(もう直近にせまった復興コンサート。)
ドヴォルザーク「新世界より」3楽章
Bパソコンと、私のどっちを、取りますか。
(背中から迫る視線を表現しました。)
グリーグ「君を愛す」
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年2月14日
斎藤さんこんばんは。
先週は川柳クラシックを企画いただきありがとうございます。
きっとお好きな方がいっぱいいらっしゃると思いますよ。
わたしも事あるごとにネタを考える毎日です。
とりあえずここ数日で考えたものをおくります。
よろしくお願いいたします。
@ブリメンが、タコだ鱒だと、寿司を食べ。
シューベルト「鱒」四楽章
A初対面、ラジオネームで、思い出し。
バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」第一番一楽章
B応援し、つながり続けて、三年目。
エルガー「威風堂々」第一番
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2014年1月30日
斎藤さんこんばんは。
この前お正月と思ったら、もう2月なんですね。斎藤さんもお正月休み返上でお疲れさまでした。ゆっくりお休み下さい。短い2月で楽しめる企画を考えました。題してオッターヴァ川柳クラシック。リクメ書き、出したつもりが、課長宛。やっちまったの一曲として、バッハ「トッカータとフーガ」をよろしくお願いします、みたいな感じです。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2013年11月27日
斎藤さんこんばんは。
昨日愛犬のクッキーが亡くなりました。十四才、がんで入院中でした。妻はわたしが早く気がついてあげれなかったと大変悲しみました。毎日散歩している僕の方こそと思いながら、そんなことはないと必死に慰めました。まさかこんなに早くと思っていましたから、こんな日がくるなんて今でも信じられない気持ちです。
今このメールを火葬場で書いています。火葬の前には讃美歌「主われを愛す」を歌ってお祈りをしました。気持ちを落ち着けて、再び神様に向かうために、メンデルスゾーンの雨には栄えをリクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2013年11月22日
モーリーさんこんばんは。
今日はいい夫婦の日ですね。
今は亡き妻の父が大好きだった、11月22日、いい夫婦の日。
そしてその日が義父の命日ともなりました。
とっても気さくで、私を実の子供の様に扱ってくれて、
いまでも感謝の念が消えません。
今日もそばに義父さんがいて、
大好きなラーメンを食べているような錯覚を覚えました。
そんなわけで今日の夕食は、いつもみんなで行っていた近所のラーメン屋さん
に行こうかと思います。
若いとき米軍キャンプで働いていたという義父さんを覚えつつ、
今日はアンダーソンのブルータンゴをリクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2013年4月29日
斎藤さんこんばんは。
●連休中時間があったので、前から気になっていたメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」のCDをゆっくり聴くことにしました。
●この作品は印刷技術発明400年を祝う祝典のために作曲されたとのことでした。
この曲は主たる印刷物であった聖書をテーマに書かれていることがわかります。
しかも聖書中で頻繁に用いられる40という数字があるのですが、これは十分な時間ということを意味し、更にその10倍を費やした400年祝典なのですから、さながら聖書ミレニアム祝典というような一大イベントであったに違いありません。
●メンデルスゾーンの家族は父親の代にユダヤ教からプロテスタントのルーテル(ルター)派に改宗し、メンデルスゾーン自身が熱心なプロテスタント信仰者であったとのことですね。
このような予備知識を与えられて全曲を聴き進めてみました。
●この曲は全十曲の内、最初の第一曲のシンフォニア以外は全て管弦楽付きの合唱曲でした。
合唱のテキストには大部分が詩編が用いられていました。
詩編はルーテル教会では小聖書と呼ばれるほど重要な書です。
第一曲のシンフォニアの冒頭、合唱の最初である第二曲の冒頭、更には合唱の最後である第十曲の最終部に、同じメロディーが出てきますが、このメロディーの箇所のテキストには詩編150編が用いられています。
(その言葉は「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」です。)
詩編150編は詩編の最後を締めくくる完結の書で大変重要なものです。
この曲を通して聖書を褒め称えようとするメンデルスゾーンの強い意思を感じます。
●もうひとつ合唱のテキストの内容から第2曲から第5曲までは旧約聖書を表していると思いました。
一方第6曲から第9曲までは新約聖書を表していると思います。
メンデルスゾーンが第6曲がこの曲の中心となると言ったのは、旧約から新約への転換点になるという意味があったのだと感じました。
そして第10曲で新約聖書、旧約聖書の両方を治めた三位一体の神が賛美されこの交響曲をしめくくります。
●この曲で唯一聖書以外のコラールが用いられている箇所があります。
第8曲の合唱 「今やみなは心と口と手をもって」ですが、この曲の美しさをどう表現したらよいでしょうか。
それは神を待ち望む者たちがその臨在に触れ、光に照らされて眩しさのあまりお互いの顔が見えなくなると言いたいほどです。
わたしはとうとうメンデルスゾーンの信仰告白をここに見つけることができました。
●長文になりごめんなさい。
今日はメンデルスゾーン交響曲2番「讃歌」の第8曲 「今やみなは心と口と手をもって」をリクエストしますのでよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2013年3月25日
斎藤さんこんばんは。
今週から受難週ですね。そして3/31(日)はイースターです。
この時期になるとやはりバッハのマタイ受難曲が聴きたくなります。
いつもはCD付属の解説書の歌詞を見ながら聴いていたのですが、
今回はちょっと時間があったので、オリジナルの対照表を作って直接聖書を読みながら聴いてみました。
解説書の歌詞は文語調で翻訳されていますが、聖書は口語調で書かれているので
物語の展開がわかりやすくて頭に入りやすいです。
対照表を作る過程で多くのことを学ばされました。
●バッハのマタイ受難曲はマタイの福音書26章1節から27章66節のすべてが連続して引用されていること。
●これらの聖句はレチタティーヴォという福音史家の歌に用いられていること。
●アリア、合唱、コラールでは聖書とは別の歌詞が用いられ、古くからのコラールの歌詞が引用されていることが多いこと。
などです。
楽器や歌の経験がなく、音楽の知識の浅い私にとっては、聖書を読むことからマタイ受難曲を理解するという方法が与えられていることに気がついただけでもうれしかったです。
●私が好きなマタイ受難曲のつぼの箇所で共通している点があることがわかりました。それは歌詞の中で「イエス」や「ペテロ」、その他の第三者が語った言葉としてではなく「われ」とか「わが」とか自分自身の気持ちが表現されている歌の音楽が際立って美しいと感じたことでした。
(バッハの信仰告白が表れているのかも知れません)
例えば第47曲アリア「憐れみたまえ、わが神よ」、第72曲コラール「いつの日かわれ去り逝く時」、第75曲アリア「わが心よ、おのれを潔めよ」などです。
特に第72曲から第75曲の連続した時間は福音を告げ知らせる至福の時です。
●また悲哀の曲調で始まるこのマタイ受難曲が、暗闇の中に差し込む一条の光によって平安に満ちた曲調に変化する瞬間があります。第73曲レチタティーヴォの中の百卒らが歌う「げにこの人は、神の子なりき」がそれです。
心の底から湧き上がる、希望への回復に涙が溢れてきます。
長々と書きましたが自分自身の思いと言葉でマタイ受難曲を振り返ることが出来ましたことに感謝する思いです。
今日はマタイ受難曲の中からどの曲でも結構ですのでリクエストにお答えください。
よろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」
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斎藤さんこんばんは。
「105にんのすてきなしごと」を図書館で借りてきました。
私の住む袖ヶ浦市には4つの市営図書館があるのですが、
パソコンで蔵書検索すると4箇所にすべてこの本が備え付けられていました。
この本の最初の発行本である「オーケストラの105人」も同様でした。
したがってこの関係の本は8冊が図書館にあったわけですが、
借りられる分はなんと一冊しかなく、今回こうして手元に取ることが出来たのは
本当にラッキーでした。
夕暮れの街の登場人物がそれぞれに着替えて身支度をして、ある場所に向かいます。
物語の途中からこの人たちは音楽をする人なのだなというのがわかるのですが、
話の展開と素敵な絵がこの後どうなっていくのだろうという興味を起こさせ、
最後までワクワクしながら読むことができました。
1人の指揮者を除いて104人からなるオーケストラというのを考えたときに、
かなりの大編成だなと考えたのですが、しかし具体的な曲のイメージが出来ませんでした。
そこで絵本に書かれているオーケストラの人数を数えてみました。
第一ヴァイオリン34人
第二ヴァイオリン25人
ビオラ
9人
チェロ
10人
コントラバス 2人
管楽器 21人
(*描かれているのは19人ですが、2人がハープの後ろにかくれています)
ハープ 1人
ティンパニ 1人
パーカッション 1人
指揮者 1人
合計
105人
次にハープ+管弦楽でパソコン検索するといくつかの曲名を絞る事ができました。
物語の中で演奏が開始された時に「なみのように なめらかで ちからづよい おとです」と書かれていたのを見て、わたしはブリテン「青少年のための管弦楽入門」の
冒頭(主題の提示、トゥッティ)を思い浮かべました。
この曲の詳細を調べると管楽器の人数が先ほど数えた人数と一致しており、更にパーカッションで使用されている楽器をチェックするとムチ以外はすべて一致していました。
*管楽器の編成は次の通りになります。
フルート
3人
ピッコロ 1人
オーボエ 2人
クラリネット 2人
ファゴット 2人
ホルン
4人
トランペット 2人
トロンボーン 3人
チューバ
2人
合計 21人
*パーカッションの楽器はティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、
タンブリン、ウッドブロック(木魚)、シロフォン(木琴)、カスタネット、タムタム(銅鑼)
が描かれています。本に書かれているウッドブロックがこの楽器であると突き止め
るのに1時間かかりました。むちはきっとどこかに置いてあるのでしょう。
しかし、新たな疑問が湧いてきました。パーカッションは一人で演奏できるのだろうか。この曲の動画を確認したら4人のパーカッション奏者が必要なことが分かりました。先ほどのオーケストラ全員が描かれている絵をよく見るとホルン奏者の座っている位置が不自然です。ひょっとしたらパーカッションと掛け持ちなのかも知れません。
他にもパーカッションを応援できそうな人が一人二人居そうです。
というわけで今回のお題の「うっとりするほど うつくしい おんがく」とは、
ブリテン「青少年のための管弦楽入門」の終曲フーガではないかと結論いたします。
あ〜、こんなに燃えたのは「男のぷっちんぷりん」以来です。
ご清聴ありがとうございました。
ラジオネーム「ピッカリング
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●2013年1月15日
斎藤さんこんばんは。
昨日は大雪で大変でしたが、そんな中わたしは新宿文化センターでコンサートを聴きました。
それも何とベートーヴェンの第九です。
http://www.musicapoetica.jp/
当日のプログラムは下記の通りです。
1 メンデルスゾーン「バルトルディー」
2 メンデルスゾーン「2つの宗教歌」
3 ベートーヴェン「交響曲第九番」
管弦楽:ユビキタス・バッハ
ソプラノ:佐竹由美
アルト:永島陽子
テノール:ツェーガー・ファンダステーネ
バリトン:浦野智行
合唱:メンデルスゾーン・コーア、ハインリッヒ・シュッツ合唱団・東京
指揮:淡野太郎
*ユビキタス・バッハは日本基督教団本郷教会の奏者グループで各回の演奏会ごとにプロ・アマ問わず必要な奏者が招集されるシステムになっています。
書きたいことは山ほどあるのですが、今日はエッセンスになる部分だけ紹介します。
当日のパンフレットに次のようなことが書かれていたのが印象的でした。
「ハーモニー、メロディー、リズム、この内人類が生まれる前から存在していたのはハーモニーである。
美しいハーモニーのつながりの結果がメロディーであってその逆ではない。」
プログラム前半のメンデルスゾーン「バルトルディー」はその意味するところをはっきりと示す演奏でした。
混声合唱が溶け合ってあたかも天使の羽のような清らかで愛に満ちた歌声でした。
メンデルスゾーン「2つの宗教歌」はオルガンが伴奏の男性独唱で、ピアノ伴奏と異なりあたかも男性独唱の声がオルガンの音色と融和するようでした。新宿文化センターのオルガンは日本人のわびさびのようなものに語りかけるようでとっても素敵だと思いました。
そして当日メインディッシュの第九です。
淡野太郎さん指揮は自我を廃した極めて禁欲的なものです。
シンプルな指揮棒の動きとオケの音の出るタイミングがずれることは無く、また特にティンパニのリズムのうねりやとんがったところが皆無で
団員の全てが指揮者の思想に完全に一致しているかのようでした。
2楽章の前半では、息つく間もないうねるような演奏が好きなわたしは、まるでしんしんと雪が降るかのような演奏に目からうろこでした。
わたしは第九で3楽章を聴いて天国にいるかのような気分になるのがとても好きです。
今回の演奏が禁欲的と書きましたがこの楽章だけは別です。今まで多くの第九を聴いた中で一番自分の理想に近いリズムでした。
メロディーはハーモニーの結果であるとの言葉がありましたが、リズムもハーモニーに見事に融和していました。
この日のオーケストラの配置はコントラバスが左、ティンパニが右で、以前斎藤さんから教わった古い演奏スタイルの配置です。
当日はナチュラルホルンや古楽器のトロンボーンなども使用され、音色が美しく興味を覚えました。
ティンパニも外見は違いがわかりませんでしたが、ばち(なんと言っていいのかわからないのです)は小太鼓のと同じようなものでした。
しかし3楽章だけは先が丸くなったものを使っていました。
当日一番驚いたのは4楽章です。
独唱者と打楽器奏者が3楽章後半の演奏中に入場します。そして独唱者はステージの右後ろ、2ndヴァイオリンの後方に座ります。
そしてこれは演奏前から驚きだったのですが、合唱団は男性と女性が交後に並ぶのです。
人間の自我と浅はかな意志を廃して、ただ神の意思がそこに現れるようにとの演出のねらいがあったかのように感じました。
ステージの中心に神が臨在するように、信仰者としての第九にこだわりを見ることが出来ました。
帰りは大雪で、交通機関の麻痺もあり帰宅するのに大変困難でしたが驚きと、思い出に残る演奏会でした。
今日はメンデルスゾーン「バルトルディー」の最後の曲をよろしくお願いします。
ラジオネーム「ピッカリング」より。
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●2012年12月24日
斎藤さんこんばんは。
先週の木曜日臼澤みさきさんのアメージンググレースを聴いて感動しました。
これまでのどの歌い手とも異なる独自の歌声でした。そしてその歌声から各地の避難所で懸命に励ましの声をかけている彼女の姿が見えてくるかのようでした。
この曲は歌い手の人生を問い掛けるのだと思います。
しかし彼女ならきっと見事なステージを聴かせてくれることでしょう。
この曲の作詞をしたジョンニュートンはかつては奴隷商人でした。家畜以下に扱った奴隷を船で運ぶ途中、彼は嵐に合って九死に一生を得ます。このことを機会に彼は悔い改め、その後彼のことを陰で祈り続けた母と同じ信仰の道に立ち返り、やがて牧師となって用いられることになりました。
そんな中でこの歌は生まれました。
聖歌「おどろくばかりの」としても有名なこの詞の意味は、罪に満ちたる我をも召して下さった神様の栄光を讃えるもので、苦難の中にある世界中の人々が、もう一度生かされる喜びを取り戻すことのできた、命の泉のような奇跡の歌です。
復興コンサートで臼澤みさきさんの歌声に生かされる人々が一人でも多く起こされますように、東北の地に命の歌が染み渡り希望が満ちますようにお祈りいたします。
ラジオネーム「ピッカリング」より。
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●2012年9月3日
斎藤さんこんばんは。
先週の土曜日(9/1)は岩太郎さんの誕生日でした。
いつもわたしたちの誕生日の時は素敵な音のプレゼントをして下さるので、
今日は2日遅れになりましたが是非わたしがプレゼントをしたいと思いました。
どの曲にしようか大変迷ったのですが結局わたしが一番好きな、
シベリウスのヴァイオリン協奏曲2楽章を贈りたいと思います。
良く1楽章について「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と紹介されますが、
シベリウス自身のこのコメントを大変気に入っています。
しかしわたし自身が鷲のような舞い上がるインスピレーションを強く感じるのは1楽章より2楽章の方です。
そして音楽と共にこの曲に似合う聖書の言葉を岩太郎さんに贈りたいと思います。
「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
」
イザヤ書40章31節
これからの一年、岩太郎さんの上に豊かな祝福と恵みがありますようにお祈りいたします。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2012年8月15日
斎藤さんこんばんは。
【わたしの夏 セヴラックの調べに乗せて】のコーナーに応募します。
あれは昨年の八月のある日、妻とわたしが車に乗っていた時の出来事でした。
その日は見渡す限り晴天の空でしたが、突然運転席の窓に雨が降ってきたのです。
「珍しいこともあるもんだな。」
「これは局所的な雨よね、鳥の仕業ではないわ。」
そう言いながらしばらく走っていると、今度はわたしの携帯電話が鳴り始めました。
「今、運転しているから、替わりに出てくれる。」
「わかったわ。」
「あれ、この発信者わたしの名前じゃない。え〜、そんなことってあるの。」
「時々短縮ボタンが押されて発信される場合もよくあるみたいだけど。」
「え〜、わたしそんな登録していないわ。こんなこと初めてよ。」
話は変わりますが我が家にはその頃9才になるドワーフライオンの白うさぎがいました。
娘が幼稚園のとき同級生のお友達の家でたくさん子供が生まれたので一匹をもらってきたのです。
白い色がふわふわとかわいらしかったので「タルト」と名付けました。
タルトのかごは、わたしがパソコンをいじっている横に置かれ、
わたしたちは長い間一緒に夕べの時間を過ごしました。
一時期わたしが病気で倒れた頃、寂しさのあまりそのころから歯の噛みあわせが悪くなってしまいました。
毎月動物病院で歯切りをするために連れて行くのはわたしの役目となりました。
一方えさのチモシーわらの交換やかごの掃除は毎日妻が欠かさず行いました。
あるときおなかが腫れていたので動物病院に連れて行くと、子宮に水がたまっているとのこと。
手術は高齢でリスクが高いのでこのまま様子を見ましょうとのことでした。
そのように動物病院通いを続けながらもずっと見守る日々が続いていました。
車で買い物に出かけた先から家に戻ってきて、比較的暖かいところにいる家の猫と、
涼しいところにいる鳥たちが無事なのを確認してから、かごのなかにいるタルトに声をかけました。
返事がないのを不審に思った妻は、タルトの体に触れて冷たくなっているのを知りました。
大きな声ではなかったけれど、深い静かな泣き声がしばらく続きました。
「あれは、タルトのお別れの涙だったのね。」
「お礼の電話もしてくれたみたいだ。」
翌日わたしたちは庭に穴を掘り大好きなチモシーわらを敷き詰めて、
タルトを埋葬しお祈りをしました。
今年の春その場所にはシロツメクサが綺麗に咲きました。
わたしはその内の一つの葉を本に挟み、
今でも時々つまみ出しては「良く噛んでたべるんだよ」とつぶやいています。
ラジオネーム「ピッカリング」より
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●2012年6月19日